運命を変えるとはどういうことでしょうか。あなたは考えたことがありますか?
 
人は生きて活動する上で様々なパターンを持っています。
運命を変えるとは、このパターンを変えることなのです。
運命を変える為には、先ず自分の生活パターンを変えなければならないのです。
いくら自分の運命を変えようと思ったところで、今までと同じ様な考え方や生き方をしていたのでは、変わりようがないからです。
運命を変えようと思ったならば、生き方のパターンを変えればよいのです。
よく変えようと思ったならば、よいことをすれば自ずとよい方に変わっていく。
悪く変えようと思ったならば、悪いことをすれば自ずと悪い方に変わっていく。当然ですね。
 
中国、明の時代に袁了凡(えんりょうぼん)という人が、自分の運命を変えた実践方法などを息子の天啓のために書き残した「陰隲録(いんしつろく)」という書物には、次のような「立命の学」ということが書かれています。
 
袁了凡は幼い頃に父を亡くし、官吏になろうと勉強をしていた。然し、お母さんから医者になる勉強をしなさいと云われたので医学を学んでいた。ある時、慈雲寺で仙人のような孔という老人に出逢った。孔老人は「あなたは官吏になるはずの人なのにどうして医学を学んでいるのか」と尋ねた。袁了凡が経緯を話すと、孔老人は「私は易学を使うが、あなたに会う為に遙々と来た。どこか泊まる所はないか」と云うので、袁了凡は孔老人を家へ連れ帰った。
 
孔老人に色々と占ってもらうと全部的中していた。孔老人はどの試験は何番目で合格するなどということを云ったが、悉く的中していた。そこで、袁了凡は官吏登用試験を受ける為の勉強をするようになった。又、孔老人は袁了凡の一生の吉凶を占って「何時の何の試験は何番目で合格する。何時の年に貢生の地位となり、何年後には四川省の長官になり、二年半で帰郷する。五十三歳の時八月十四日丑の刻に座敷の表で一生を終わることとなろう。子供はいない」と告げた。
 
その後、袁了凡は事ある毎に孔老人の告げた事と突き合わせたが、皆悉くその通りであった。このようなことがあったので袁了凡はそれぞれの事には時期というものがあるということを信じるようになり、運命論者になってしまったのである。
 
貢生という役人になってからのことである。棲霞寺に雲谷禅師を訪ねた。「人が聖人になれないのは、邪念がまとわりついているからなのであるが、お前は三日の間座っていたが、邪念は一つとして起きなかったが、どういうことか?」と問いかけた。袁了凡はそれに答えて「私は孔先生という易の名人に占って貰ったことがあります。それによって私は一生の栄枯生死は既に定まっていることを知りました。それ故に邪念を想起しようにも、しようがありません」と云った。
 
それを聞いた雲谷禅師は、「私はお前を優れた人物であると思ったが、今の話を聞いてお前が凡人であることが分かった」と大笑いしながら云った。袁了凡は直ぐにまた聞き質した。雲谷禅師は答えた。「人は無心になれないから、ついには陰と陽との働きによって束縛されてしまう。それ故に、どうしても運命に支配されてしまうのだ。但し、それは唯凡人にだけ運命があるのであって、善を極めた人に対しては運命も天地も拘束することは出来ない。極悪人は逆に運命を頼んでも業というものに引きづり回されて定まらないのである。お前は二十年以上も、孔老人の占いの儘にいて、未だ少しも変化していないというのは凡人というより他はない」と。
 
更に袁了凡は尋ねた。「それでは、
運命というものからは逃れることが出来るのでしょうか?」
 
禅師が答えた。「詩経や書経に云うところの運命は自らつくり幸福は自ら求めるものであるということは真に立派な教えではあるが、仏典にも功名を求めれば功名が得られ、富貴を求めれば富貴が得られ、子女を求めれば子女が得られ、長寿を求めれば長寿が得られると説かれている。妄語は仏道者の大戒の一つである故に諸仏諸菩薩がどうして人を騙すことをしようか」
 
袁了凡は更に問う。「孟子は、求めれば得られるが、それは自分の中にあるものを求めるからであると云うが、道徳や仁義のようなものは努力することによって求めることもできようが、功名富貴はいくら努力しても求めることができないのではないでしょうか?」
 
禅師がまた答えた。「孟子の云うことは間違ってはいない。お前が間違って解釈しているのだ。大祖大師もこういっている。すべての幸福の生じる畑は心の中にあると。心の中に従って求めるならば感じて通じないものはないのである。自分の中にあるものを求めれば、ただ単に道徳仁義を得るばかりではなく、功名富貴も得ることが出来て、内外共に得ることが出来るのである。これが求めて益のあるということなのだ。若し自分に省みることなく徒に外のみ向かって求めたならば、旨くは行かずに内外共に失うこととなる。それ故、身には何の益もないことになる。というのが孟子の真に意味するところのものである。お前はこれをどう思うか。」
袁了凡は黙って考えていた。すると雲谷禅師は更に尋ねた。「ところで孔老人は、お前の一生をどう占ったのか。」袁了凡は告げられた通りのことを答えた。
 
雲谷禅師は、「それでは孔老人の占いとは別に、お前自身で考えてみて、科挙の試験に合格できるかどうか、子供が生まれるかどうかをどのように判断するのか。」
 
袁了凡は、考えて答えた。「合格も出来ず子供も生まれないでしょう。試験に合格するような人は、大抵に福相がありますが、私は福が薄く、また、功徳を積んで善行を重ねて幸福の基礎をつくるというようなことも出来ません。その上、世間の煩わしいことには耐えられず、度量も狭くて人を容認する寛容さもありません。時として自分の才智で人を押さえることもあり、或いは思うままを直ぐに言動に表してしまうところがあります。口も軽く当を得ない談義もします。これらは総て薄徳の相です。このような私がどうして官吏登用試験に合格して役人になることが出来ましょう。云々」
 
雲谷禅師は続けた。「それはそうであろう。試験の合格や不合格、子供のある無し、総て徳の如何に依るものである。お前は今や既に自分の非を悟った。今までは孔老人の占いの通りであったが、これからは今まで合格も出来ず子供も生まれないという悪相を真心を尽くして改め除き、善徳を積むことに精進し、努めて人の言葉を聞き容れる度量を持ち、和やかな愛情を持つようにしていけば、これまでの色々な事柄は、例えば昨日死んでしまったかのように無くなり、今後の色々な事柄は今日生まれたかのように新しくなっていく。これを道徳再生の身というのである。
書経の太甲篇に、天が下す災いは猶避けることが出来るが、自分の作った罪科による災難は避けることが出来ない。どうにもならないことだ、とある。孔老人がお前は科挙の登庸試験に合格出来ず、子供も生まれないということを占ったのは、これは書経にいう天の為せる災いと同じであるから避けることが出来る。お前が今後徳分を積んで善い事を為し、多くの陰徳を積んでいくならば、これこそ自分が作った福なのである。自分が作った罪科による災いを避けることができないというなら、自分の作った福もまたこれを受けることが出来ないということがあろうか。易経の最初に、善行を積んだ家には必ず子孫にまで及ぶ有り余る程の慶福がある、と書かれているではないか。お前にはこれが信じられないのか。」
 
袁了凡は雲谷禅師の仰ることを真理であると感じて受け入れた。雲谷禅師は功過格(言動を善事と悪事とに分けて、それぞれ格付けをして点数を付けたもの)いう冊子を手渡し、更に「凖胝(ジュンテイ)呪」という呪文を袁了凡に授けた。毎日の自分の所行をこれに書き付けて、善事ならばその数を書き加え、悪事であるならば善事の数からその分の数を引いて書きなさい、そしてこの呪文を唱えて仏の加護を請いなさいと教えた。袁了凡は仏前に座して過去の罪過を心から懺悔し、誓願を一つ作った。科挙の登庸試験に合格することを願って善事三千を行って天地先祖の徳に報いることを誓って精進し、孔老人が合格しないと占った科挙の試験に合格したのである。
 
袁了凡はこのようにして運命の改善を始めたのである。
「始めるとなれば、昨日までは只悠々と暢気にしたい放題の生活であったが、こうなると一挙一動、一言一句が等閑には出来ず、人の見ていない独りの時でも自然と行動を慎むようになった。その代わり対象が天地自然であって人ではないから、人がどんなに私を憎んだり誹ったりしても心を動かさず、平然として受け入れられるようになった。このようにして孔老人が合格しないと告げた科挙の試験に翌年に一位で合格した。この時つくづくと雲谷禅師の仰ったことを身にしみて感じ、いよいよ運命転換が可能であることを確信したのである。そうして善事三千の積徳の行の完成に精進したのである。

然し、日々に反省してみると、猶我が身には過ちが多くて悔やまれることばかりであった。道を行うことに純粋でなかったり、正しいことを実行しようと思いながら勇気の欠けて妥協してしまったり、人の難儀を救おうとしながら心が籠もらずに中途半端で終わったり、信念が揺らいで行動としては善いことを為しながらも口では過った事や礼儀に反することを言ってしまったり、或いは酒を飲まない時には堅固に身を保つことが出来ても、酒に酔うと気儘に振る舞ったり投げ遣りな行動をしたり、などということで折角努力に努力を重ねて積んだ善事も、これらの過ちを引き去ると後には幾らも残っていないということとなって空しく時が経っていくばかりであった。そういうような訳で、三千の善事を完成するのに十年余り掛かってしまった。
 
翌年、高徳の性空、慧空上人を請いて三千善行を回向し天地祖先に供養した。更に跡継ぎとしての男子が授かるよう願いを掲げ、新に三千の善事を実行するという誓いを立てた。息子よ。その翌年にお前が生まれたのだよ。」 この二度目の三千の善行は僅かに四年で完了した。この後も善行は続いた。
 
「孔老人の占いでは、私の寿命は五十三歳で、その年の八月十四日丑の刻に尽きるとあった。然し、私は、今までに長寿や延命を祈ったことなど一度もない。それにも拘わらず、五十三歳の年は心身共に何等の苦悩もなく全く安穏の年であった。そうして今や六十九歳にして壮健の者にも負けないくらい健康であることは、息子よ、お前の最もよく知るところである。(袁了凡は八十三歳まで生きた)
 
書経に、天命は当てにならず一定しないものである とも また、天命は一定しないものである といっているが、これらは皆人を欺く言葉ではない。禍福は己より求めざるものは無し、という賢聖の言葉通り、災いも福も皆、自分の行動や心掛けの結果として現れるもので、つまるところ幸福も不幸も皆、自分が招いたもの自分の求めた結果なのである。禍福は唯天の命ずるところで、どうにもならぬ などというのは俗人の詰まらぬ戯論なのである。私はこれを身を以て知ったのだ。
 
息子よ。お前の運命がどのようなものであるか私には知ることは出来ないが、若し幸いに運命がお前を高位高官に登らせてくれたならば、常に我が身の零落の想いを為し、常に我が身が不如意で物事が思い通りにならない境遇にあると思え。若し、衣食が充分で豊かであったならば、常に貧乏の時の思いを為し、我が身が衣食足らず困窮の境遇にあると思うべし。若し、人に尊重され敬愛される身分になったならば、常に謙虚に虞慎む思いを為し、常に謙れ。若し、学問に秀でているならば、常に未熟の思いを為せ。
斯くの如くに慎み、遠くは祖先の徳を輝かすことを思い、近くは父の過失不徳を補うことを考え、上は国の恩に報いることを願い、下は家門の福を増すことを思い、外には他人の困ることを救うことを考え、内には自分の邪悪不正を断つことを思い、日々に努めて自分の過ちを反省して改めるようにせよ。
 
世の中には、聡明で学問や技芸等にに優れた人はたくさんいるけれども、そう言った人達が色々と為した揚げ句に一時的には成功することがあっても、結局は世に成すほどのこと無く終わってしまうのは、詰まるところ因循の為である。奮発して運命を改善しようという考えを起こすこともなく、自分の不徳を知ることもなく、過ちを改めようともせず、行き当たりばったりの日々を送り、竟にその一生を一つの天命に任せて終わってしまうからである。
 
雲谷禅師が授けてくださった立命の説は、至って詳しく奥深くて真に正しい真理である。お前はこのことを能く熟慮玩味して一心に実行せよ。時日を決して空しく過ごしてはならぬ。私が雲谷禅師から授かり、善悪の基準としてきた功過格表を示す。この功過格に照らして善事を実行せよ。毎日、その日の終わりに日記を書いて、その日に為した功過を反省して記入し、月で纏め、年で纏めるのだ。善を為すことは容易ではない。一日だけで終わって、幾日も何一つ善事を為すことの出来ない日が続くこともあろう。然し、それでも二日続き三日続きとしているうちに次第に長く続くようになるものである。要は倦(う)まず弛(たゆ)まずに為すことである。」
 
袁了凡は、以上のような事を自分の息子に書き残したのである。
 
運命を変えるには、まさに袁了凡の実践した運命転換法を私たちが実践することから始まるのです。日々に自分の為した言動を謙虚な態度で反省することから始まるのです。勿論反省するだけではダメです。過ちを繰り返さないように努めることが肝心なのです。反省はするが、また同じ過ちを何時まで経っても繰り返していてはダメなのです。袁了凡の言うように最初はなかなか旨く行かなくて空しさを感じることもあるが、決して投げ遣りになってしまってはいけないのです。
 
袁了凡は、もともと袁黄の名であったが、それまでの生き方から、一心を翻して立命に転じたその時に号を「了凡」と改めたのである。その意図するところは、「凡夫の奮巣には再び帰らない」という自分の心の戒めとしたのである。
 
袁了凡は運命転換の道を歩み始めた時から、日夜心いそいそとして、大いに前日とは異なっていることを覚えたと言っている。前日は放任主義で心掛けは構い無かったが、それ以来何となく慎み懼れる気持ちが出てきて、暗い所にいても、人の見ていない陰にあっても「悪行は無かったか」「悪念は起きなかったか」と常に天地鬼神の照覧を恐れるようになった。また、実行しているうちに、世間的な欲は薄らいでいって他人が自分のことを憎み謗るとも心持ちを穏やかに保てるようになり、それを平安な心で受け容れることが出来るようになった。と書き記している。
 
運命転換を実現しようと始めても、直ぐには変わりません。運命を変えるということは生活のパターンや思考のパターンを変えると言うことです。今までの生活パターンや思考パターンを簡単にあっさりと変更できるものでしょうか。生活パターンや思考パターンを直ぐに変更出来て、それを維持できるほどの人は、既に運命という束縛から離脱した神仏の境涯にも近い存在であるということが出来ます。
 
今までの生活習慣(パターン)を変えたつもりでも、潜在意識や深層意識が反発し抵抗するので、気がつくと以前と同じ様な生活や考え方をしているということになってしまっているのです。
 
分かっちゃいるけど止められない。困ったものです。
 
物事が何時まで経っても成就しないのは、その物事が成就するまで続けないからです。中途で投げ出さず、人が見ていようが見ていまいが、常に謙虚に反省しながら倦まず弛まずに工夫をしながら根気よく実行するということが肝要なのです。